初舞台物語
「赤穂浪士〜昆虫になれなかったファーブルの数学的帰納法〜」
1994年 冬 学芸大芸術館ホール 作:野田秀樹(夢の遊眠社) 演出:飯野 邦彦
私の初舞台は、前に書いたのでいけば演劇学の「邯鄲(作・三島由紀夫)」となるわけで。
私はこの時、舞人の役。
ただ「踊れ、踊れ、踊れ」といって、主人公の男に腕を見せて「食べて御覧なさい」と言う。
思い出しただけでもかなり寒い役。しかもこの台詞が言えなくて。何度も何度も皆から言い方を直された様な。
このときは私はただの「授業」としか思っていなかったから。何でもいいや、じゃないけれども。
だから、私の中での初舞台は、ちょっと違う訳で。
いや、ただ単にこの「邯鄲」を数えて欲しくないだけなんだけども。
そう考えて、「劇団▲漠」での初舞台はなんだったかと言うと。"南京の俺様"が演出した
「赤穂浪士〜昆虫になれなかったファーブルの数学的帰納法〜(作・野田秀樹)」となる(どうだ!懐かしかろう)。
これは漠の1994年本公演で、私が入部して早々、役者が募集されていて。
私は1年でイッチョ前にも応募してみた訳で。
でも、どうです??
演出は私のあまりの演技の下手さ加減にオーディションでも困られたことでしょう??
きっと「こいつ、使えねぇ・・・・」と思われたに違いない。
でも優しいお方なので「切る(役をあげない)」ことは出来なかった。と今思う。
えぇ、このころ本当に「へたっぴ」で。(とかいったら今はどうなの??ッて自分で突っ込んでおく。今はおいといて)
人前に出て、照れてしまうのであった。そんなんで芝居されても、観ている方としたら見てられない。
なのに「やる気」はある。だから始末が悪い。
演出の中で配役がいよいよ決まり、発表となる。緊張の一瞬。
多分みんなドキドキ。もちろん私もイッチョ前にドキドキ。
で、台本にのっている役名が次々と読み上げられ、配役が言い渡された。
でもこの時、私、名前、言われませんでした。
最後に名前を言われて「コロスをお願いします」。
私の最初の役は「コロス」。最初、私はこの意味が分からなかった訳で。
台本に「コロス」っていう名前はなかったけれど、「私この芝居に出れるんだ」と「よかったぁ」と思いました。
なんか、今でもこのときの気持ちは忘れない。役がもらえた嬉しさ、ほっとした気持ち。実際は役ではなくとも。
「コロス」とは、辞書を引くと「古代ギリシアの合唱団」と出るけれども、要は群集シーンの一員ということで。
台詞はないが、あちこちで色んな一群の役割をになう役なのである。
ドラマなんかだと、喫茶店で、主人公とかの後ろでお茶を飲んでいる人だったり
電車の中の主人公の後ろで雑誌を読んでいる人だったり、商店街では通行人だったり。
と言うことで、この芝居の中で私は「兜町証券取引場の人」「女子高校3年生」「動物の猿」「侍女」
以上の4つの「コロス」をすることになる。
どういう芝居だ??と思う方もいるでしょう。説明するのはすごく難しくて。なんせ〜数学的帰納法〜なので。
でも頑張って言うと、
万華鏡のような言語感覚、"アガサ・クリスティ"が集団死した“赤穂浪士”の謎を解くという設定の中、
昆虫学者の"ファーブル"や光クラブで知られる"山崎晃嗣"、赤穂浪士四十七士の一人"赤垣源蔵"といった
実在の人物を絡めた父殺しのストーリーなのです。
「赤垣源蔵 徳利の別れ」というのをご存知の人もいるであろう? いないか?
討ち入りの前日、源蔵は雪の降る中、饅頭笠に雨合羽という出で立ちで、
徳利(俗にいう源蔵徳利)を下げて兄夫婦の家を訪ねた。
密かに今生の別れを告げるつもりであったが、あいにく兄はまだ帰宅していなかった。
嫂は仮病を使って源蔵に会おうとしなかった。
なぜなら、貧乏浪人の身であった源蔵は、酒の無心のために度々兄の家を訪れていたから。
仕方なく源蔵は応対した下女に兄の紋付羽織を拝借し、それを衣桁に掛け、その前に座す。
西国の大名に奉公することが決まり近々旅立つゆえ、別れのあいさつに参った旨を紋付羽織に向かって報告した後、
一人盃をあおる。怪訝な顔をする下女を後目に兄の家を辞した。
大体、こんな感じが話の大きな軸となっている。
この頃、役者はスタッフの仕事も同時にやる、と言うのが「劇団▲漠」の掟(サダメ)で。
全員が役者とスタッフを兼ねていたのだが。
スタッフと言うのは「演出」「制作」「装置(大道具)」「照明」「音響」「衣装」「宣伝美術」「小道具」があったのだけれど。
私ももれなく「小道具」スタッフに所属する。
なんせ遅い入部で他のスタッフはいまさら出来ないが、手先だけは器用なので。
このスタッフ作業。とにかく稽古が夜の10時近くに終わってからスタッフ作業となるので、自動的に深夜の作業となり。
稽古で疲れているので睡魔との闘いとなる訳であり。
睡眠不足がたたって数々の伝説・事件・逸話を生んだのだったのだが。
実はこの芝居で照明の新兵器「五苦増(ごくぞ−)」が誕生したのである。
ちなみに私はそのごくぞーを運ぶ役だった。重いんだよっ。
分かる人だけ分かる話。ま、これらの話はまた今度。すごく長くなってしまうので。
もう一人、同じクラスの"ごうちゃん"も同じくコロスだったわけで。台詞ないし楽かなぁと思っていたのだけれど。
始まった稽古では皆ほとんど暇なしだった。そんな中、実は私と"ゴウちゃん"がけっこう忙しい芝居であった。
色んな役をする=出るシーンは多い。そういうこと。
つまりここでは「侍女」だけど、次のシーンで「猿」、次は「高校生」のように。
色んなシーンに出るので、出番は多い。で、それに比例して「衣装替え」が多い。
この芝居一番の衣装もちだったのは"ごうちゃん"。
彼女はこの芝居で「黒Tシャツ・ズボン」「セーラー服」「侍女の袴」「全身タイツの豚」「女」を着こなした。
特に大変だったのが「動物の全身タイツ」で、この前で「セーラー服」に着替えなければならず。次は「袴」だし。
衣装替えの時間そんなに余裕があるわけではなく、更衣室にドタバタ走っていくのは我々二人だったと思う。
その間に小道具スタッフとして小道具を渡さなければならず。
"ごうちゃん"が自ら小道具「女」となりロープに結び付けられている時。
他の小道具を渡すのを忘れて「サル」に着替えるのに夢中になってしまっていた私。
「今日は時間があるなぁ・・・」なんて考えてたら「ハッ!!!」と気がついて
上着は「セーラー服」、下は「猿」で小道具を持って舞台へダッシュしたことがあった。
舞台ではきっかけなのに小道具が出てこなくて
"ファーブル(南京の俺様)"と"山崎(ヒロミツ氏)"は固まり、アドリブでつながっていた。
この二人を怒らせちまった。敵に回しちまった。やっちまった。と思った。案の定、「柔らかい物腰」で怒られた。
後、この芝居で一番大変だったこと。
それは、ストップモーション。おそらく5分は超えていたんじゃないでしょうか。
その間、腕を上げた状態で、ストップ。この「腕を上げた状態」というのが曲者で。
ぜひ、一度、皆さんにも試していただきたい。
ハイ、腕をまん前に上げて見ましょう。で、5分間、同じ高さを保ってみましょう。
しばらくしてから、自分の腕が意思とは反して降りてくるのを感じるはず。
で、その腕は、もうどうにも上がらないはず。つらかった。本当に。
この芝居の客入れ(開場してから開演するまでの時間)に、本物の赤穂浪士映画。映画の「台詞」が流れた。
で映画の「殿中でござるーー」の声とともに開演。
この客入れが私は最高に好きで。アイデアも。今でもすごいと思っているのだけれど。
この頃、本番前はものすごい「意識シューチュー」の時間で。今となっては開演前は楽屋でくつろぎ&個人の時間だが。
この頃は舞台の横で裏で、みんな黙黙。楽屋になんて残ってられない。
「触ったら切れるぜ」みたいなくらい尖っていて。
で、しばらくしたら暗闇の握手交換。皆で「よろしく、よろしく」と握手をする。そして、幕が開く。
今でも、ときどき夢に見るのが、このシーンで。開演前の暗ーい舞台裏。で、ひたすら黙黙としている。
よっぽど印象強かったんでしょう、当時の私にとって。なんか、全てが初めてで。毎日ドキドキだったから。
こういう感覚は、忘れちゃいけない。まぁ忘れられる物でもないけど。思い出さないとね。ふふ。
モドル もっとモドル
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