漠におけるスタッフ作業の格言を知った

「唇に聞いてみる」

1995年 冬 学芸大芸術館ホール   作:内藤 裕敬  演出:片桐 喜芳



前々から問題となっていた(?)団地そばにある空き家が、不審火で燃えた。

疑いをかけられた「青年」は昔、いろんな物が見えた。昔なら見えたであろう真犯人の姿も、今は見えない。

一方、団地ができて買い物客の増加を狙っていた「日の出商店街」のモクロミとは裏腹に

巨大なスーパーマーケットができてしまったせいで「新聞屋」をのぞいて、あとは商売あがったり。

彼らは唯一儲かっている「新聞屋」に知恵を求めるが
....

「新聞屋」は「青年」の感性に他の人とは違う物を見いだす。

「刑事」が出て、「教育ママ」たちが出て、「隣の奥田さんの奥さん」が出てきて。

さて、「青年」の思い出の中にいる「少女」は、運動会の思い出の中にいる。

最後の種目のリレーで、「少年」はアンカーの「少女」にバトンを渡すが、彼女は転んで負けてしまう。

やがて「少女」は弟とお爺ちゃんとともに狭い団地へと引っ越していく。

そんな、「青年」の思い出に、「新しくできた団地」と「昔からの住人」の関係などが交錯してゆき、

最後大量の「空き缶」が出てきて、終わる。

以上が簡単な「唇に聞いてみる」のあらまし。
 


で、この芝居で私が強烈に覚えていること。まず、「7人のガンマン」ならぬ「7人の商店街チーム」。

スーパーマーケット(彼らにとっては野盗も同じ)の襲撃からわが利益、そして商店街を守るため、

スーパーマーケットに対抗すべく結成した日の出商店街の7人組。

得意技も必殺技も武器も何もない、何てことない、ただのおじちゃんおばちゃん連中。

それぞれの職業はリーダーが「床屋さん」、後は「牛乳屋さん」「八百屋さん」「洗濯屋さん

豆腐屋さん」「蕎麦屋さん」「(何故か)歯医者さん」。

で、この時の役者のメンバー。上の職業順に"三町"、"中山氏"、"白石氏"、私、"國ポン"、"よここ"、"坂"。

さらに唯一儲かっている「新聞屋さん」が"俺様"。この8人。とっても濃いメンバーの商店街チーム。



この7人が、それぞれの「馬」にまたがり

「荒野の7人」の主題歌的な音楽♪チャッチャッチャラ、チャッチャッチャラ・・・♪にあわせて走り出る。

そして、大声で歌う、曲は「荒野の7人」 その歌は

「日の出商店街の歌  
作詞:リーダーの床屋(三町)か、牛乳屋(中山氏)、これに八百屋(白石氏)も参加か(?)

♪チャッチャッチャラ、チャッチャッチャラ・・・♪ ♪夢の〜せ〜か〜い〜へ〜〜、 あなたを〜い〜ざ〜な〜う〜〜♪

♪一歩〜 ふ〜みこ〜め〜ば〜〜、 そ〜こはっパラダ〜イ〜スゥ

<バックコーラス>ひっのっで、しょっおてんがい(日の出、商店街)×2♪

今度、楽譜付で載せよう。私は絶対忘れられない。

とてもキャッチー(耳に残る)な歌。そして、これにあわせて踊る。



この時、舞台はとても変形な形をしており。舞台の中央に備え付けの「コタツ」が。

そしてそのすぐ後ろから結構急な角度で舞台が坂になって上がる。

ツマリ、舞台が平らではない。坂の斜面の状態。そこで飛び跳ね走る。

ドリフターズの「細川たかし」の様にアキレス腱を切らないように注意した。

ところで、今、このPCは「ドリフターズ」を最初「鳥二ーず」と変換しやがった。まったく関係ないが。ちょっと悲しかったので。)



この7人のガンマンは7人で一まとまりだったので、まずは団結せねばならず。

稽古も結構大変だった。7人揃うっていうのもあまりなかったし。

"よここ"と"國ポン"は他に「教育ママチーム」の役も兼ねていたので、とくに大変で。

それにこんだけ個性溢れるメンバー。まとまりをつけるのが大変だった。

途中、衝突もあったし、もちろん。この頃"坂"はとっても「ナイフ」で尖っていたし。怖かったし。



でも、そんな7人も心を一つにできた瞬間があった。それは、牛乳屋の自分の人生の独白シーン。

ここの場面、本当は台本で確か2行くらいの台詞しかなかったはず

一瞬で過ぎ去る、何てことないシーンだったはず、なのだが。

さすが"中山氏"。それをなんと1ページ分の台詞に自ら書き直してきやがった。

これには演出も唖然。全部で5分くらいの完全なる1シーンに仕立て上げた。



「俺のかぁちゃん、牛なんだよね・・・」という衝撃の告白から始まり。

周りで聞いている我々も、(笑い)涙を止めずにはいられない。

最後、全員が感動で目を潤ませながら

「We love きしめん!!!」というわけの分からないシュプレヒコールで終わる。



とにかく、この「7人のガンマン」は完全なる脇役であったのだが。

皆が「脇役で留まってられるか」という、ちょっぴり反抗心もあり。

さらにはストーリーには深く関わってはいないので

やりたい放題やっても、そんなに差しさわりがない、という自由な身分でもあり。

「目立つ」を合言葉に、結構シッチャカメッチャカで、やっているほうは面白かった。

演出は頭が痛かったのだろうがね。いうこと聞かないガンマン達。

そんなガンマンたちにはまったく左右されずに

ストーリーテーラー的な役割りを果たした"ハルカさん"と"タッチー"と"俺様"。強い人は強い。

で、この時の教育ママの"米豆"。やばいくらい切れていた。

で、"よここ"。幸薄そーな、いかにもいそうな主婦。すごい好対照。



で、この芝居でさらに強烈に覚えていること。

先ほどから太字になっている部分なんかが関係あるのだが。それは、スタッフ作業。

前にも書いたが、「漠」ではキャストがスタッフを兼ねるのが当たり前だったので。

この時ももちろんスタッフを兼ねていたわけであるが。この時、私は「小道具」だった。

もともと「漫画チックで、カラフルで、ちょっと大げさな小道具」をつくるのが好きな私は

今回、そのような「漫画のような」小道具を作れ、といわれて、最初はちょっとウキウキだったのだけれども。



台本をさらって、自分でノートに書きだしているうちに、その数が半端ではないことに気がついてきた。

さらに、台本に「それぞれの馬に乗って登場」と書いてあり。

ここで「・・・それぞれの馬??」と考えてしまったわけである。

他にも「空き缶が色んなところから出て来て、舞台は空き缶で埋まる」だの

ちょっと想像できないことが多く。

しかし、悩んでいるほどの時間もなかった。

ということで、つくれるものからどんどん作っていこう、ということになり。



そう、私が小道具の場合、実際にあるもの(実物)を集める、ということはできない。

自分で何とか作ってしまうことが多く。

なので、作りものの中に実物の本物が混ざると、それで世界観がおかしくなってしまうことが多いため、

実物があるものすらも作る羽目になる。

この頃は毎日ダンボールと格闘で、ダンボール職人と貸し。

ガムテープで形を作っちゃぁ、ポスカで色塗りしていた。

忘れもしない、この芝居で最初につくった小道具は「洗剤の『花王のニュービーズ』」。だった。

これを5箱、同じもの。"アーコ"が小道具でがんばった。



でもさすがに舞台が埋まるほどの空き缶を作るわけにはいかず。

これは冬空の中、近所のごみ集積場を訪れ、空き缶を大きな袋ごとかっぱらってくる、

という方法で集めた。昼間向かったこともあったし、昼だと目立つので、夜こっそりと集めに行くこともあった。

さらにこの頃我々は汚いジャージで集め回っていて

折りしも世間では「オウムのサリン事件」の記憶新しく。

我々の挙動不審な行動もいつ警察に呼び止められてもおかしくはない、

そんな状況で、せっせと空き缶を集めた。もう女子大生なんてかけらもなかった。乞食のようだった。



集めた空き缶、おそらく大きなゴミ袋で50袋は軽く越えていたんじゃないかな?

それらをいっせいに皆で洗って。じゃないと臭いきついので。

でもせっせと洗ってもなんとなく「残り香」はするもので。

舞台上で空き缶が出てきた時にもなんとなく「ぷわぁん」とにおった、と思う。

時々、中にタバコの吸殻が入っている缶もあり。

そういう缶は使えないので「ひどいことしやがる!」と、本当に怒ったことがあったものだ。

これら苦労して集めた缶は押入れ、舞台横、天井以外から溢れ出させた。

苦労して集めた分、見事に溢れさすことも必死だった。



で、肝心の馬。私のほうが複雑に考えすぎてており。

そんな頭パニックの私に演出家は「またぐ感じでいいよ、魔女の箒みたいに」と言った。

そこで、考え出した馬。棒の先に頭がついている、感じ。

でも皆同じ馬だと面白くなかったので。そう、この時は考えてしまったので。

それぞれの馬の基本形にアレンジを加える、という作戦で行くことにした。で、こんな感じ。



絵で書くのはとても簡単。楽しい。

で、これらを実物にしていく。まず馬の胴体ともなる強くて長い「棒」が必要になる。

これは、2本はモップの柄を拝借。あとは垂木を削って作った。



そして頭の部分。これはずべて、ダンボールを使って作った。

まず頭の部分が全部違うので。床屋はあの青・赤・白のクルクルにしたが。

歯医者は入れ歯の頭に歯ブラシの耳。八百屋は大根の頭ににんじんの耳。

豆腐屋は豆腐の頭におあげの耳。蕎麦屋はどんぶりと麺の顔にしゃもじの耳。

この絵を見ながら演出が言った一言「あの、牛乳屋さんってさ、これ馬じゃなくて、牛、だよね・・・??」

そう、牛乳屋は「馬」ではなく「牛」になってしまった。指摘されて初めて気づく。が、もう遅い。

問題は私の役の「洗濯屋」だった。これは衣装も含め、悩みの種だったのだが。まず、イメージがわいてこない。

そもそも洗濯屋とは?クリーニング屋か? しかも一目瞭然で「洗濯屋」って・・・。

で、最終的には洗濯たらいの頭に洗濯バサミの耳にした。



毎日毎日残って、作業をして、それでもなかなか小道具が終わらない。

リストは減っていかない。仕込みとなり、劇場に入っても作業が続く。

この時、「衣装」と「小道具」はまだ作業のゴールが見えておらず

仕込みも当日は役割り御免で、自分達の作業にあたる。そのくらい必死だった。

最後の最後まで泣かされたのは、この「馬達」だった。下手に大きいので、保管するのも大変。



これが7体とも見事に揃ったのは確か本番前日。

それまでは練習用のただの棒で稽古していたので、動きやすかったのだが。

予想以上に頭部のでかくなった「馬達」。それを使う予定の役者もその大きさになれるのに必死。



「小道具」とともに、今回地獄だったのが「衣装」。

先ほどの「ガンマン」の太字部分、7つの職業が並ぶが

その職業が一目瞭然で分かるような衣装にしなければならない。

さらに「ガンマン」と言うことで、皆がマントを羽織っていなければならない。

さらに、彼らは動く。丈夫でなければならない。

この7人のガンマンたちの衣装は本番まで揃わなかった。



この時の衣装チーフは"根"。そして初衣装スタッフとなった"中山氏"。

アシストとして"國ポン"。今回頼みの綱だった"中山氏"は初衣装ということもあり、まずミシンが使えず。

しかも自分の「牛乳屋」の衣装に夢中になってしまい、戦線離脱。

この時の牛乳屋の衣装はすごかった。もちろんホルスタイン柄の牛の全身タイツに

なんと、「おっぱい」がついた。しかも、いっぱい。

まさしくNHKのみんなの歌「おっぱいがいっぱい」だったのだ。

アンケートにも「牛の乳は4つです」と指摘されたくらい。おっぱいが目立っていた。



この時、中山氏は「おっぱい」の「乳首」の部分をどう型取りするか、悩んだ。

丸い乳房の形を、ピンクの布から作ったので、型紙が合計で4枚必要になる。

で、それぞれの縫い合わせの頂点のところがちょうど「乳首」になるわけで。

そこでいかに美しく形を作るか。ここで苦労したのではないだろうか。

しかもすべて「手縫い」での作業だったと言う。布を縫い、中に綿を詰めて形を整え、そして縫い付ける。

この「おっぱい」つくりに夢中になってしまったからこそ、使えない奴となってしまい。

今思えば、こんなにネタになることをやってのける"中山氏"は凄い。

しかし、当時の衣装チーフの"根"からしたら、他の衣装は全部自分と言うわけで。

憤りでめまいがしたと思うのだが。



やはり劇場入りしても衣装は出来上がっておらず。猛睡眠不足と疲れでヘロヘロで。

お互い励ましあっていたのだが。自滅戦だったとの噂も。

一緒に楽屋で作業していたのだが、私が眠気で朦朧と作業をやめ、ちょっと目をやると、

そこには「八百屋」の白菜マントをひざの上に広げて

地べたに座り込み、縫い針を握り締めたまま、文字通り「真っ白」になっている"根"がいた。

白菜のマントをつくるったって。簡単じゃないぜ。

今回慣れない衣装スタッフで(本来、彼女は音響)、少々お間抜けな衣装つくりからスタートしてしまったので。

後のしわ寄せは半端ではなかった。



というのも、「床屋」の衣装があるのだが。

この彼のズボンを床屋マークの「赤・青・白」のトリコロールにしようと思ったらしい。

普通の人は、トリコロール縞の布を買い、それで型を取り、縫って作るだろう。

もしくは、白いズボンに赤と青のラインを書く、という手もあるかもしれない。


この時、彼女は何をどう思ったのか、赤い布、白い布、青い布をそれぞれ買ってきて

それぞれを細長く切り、その赤と青と白の3本の布のラインを、

針の通りづらいジーンズに縫い付けていく、という。気の遠くなるようなつくり方を選択してしまった。



この時、我々もよっぽど、先の「赤・青・白の縞模様の布」の存在とか、

白いズボンを染める方法とか、提言しようと思ったけれど。

この作業をがんばって半分まで進めた今の"根"には、あまりにもむなしい

悲しすぎる現実であったので、あえて黙っていることにしたのであった。

無事完成し、やっと顔から憑き物が落ちた彼女に、もっと楽であったはずの作り方を話したら。

彼女はしばらく立ち直れなかった、と思う。



ちなみにこの芝居。全員で体操着、というシーンがあったのだが。

今ではめったに見られない女子軍のブルマー姿であった。

私も生涯で最後(希望)のブルマーをはいた。



で、こんな苦労があっても本番は来る。初日終わりで、赤木に行って、たらふく食べて、そして寝た。

やっと仕事が終わっての休憩。至福の時。もう、寝た寝た。

そしてやってくるバラシ(本番が終わって舞台を壊す、片付ける)の日。

山のような空き缶を目の前に。今度は処分で苦労。

最後、ドラム缶で火を起し、馬も何もかも、もう全部燃やしてやった。



この頃。皆、「間に合わない」「できない」という現実と戦ってきたわけだが。

皆、泥のようになっても自分の作業だけは。意地で終わらせる。

そう、意地があったよなぁ。最後は、意地。

で、最終的には何とかなってしまうもので。で、できた格言。 

『出来ないじゃない、やるんだよ。』

言葉で書くと、そうでもないですがね。この合言葉は恐ろしかったですよ。

笑顔で言っても、凄んでいっても、効果は変わりません。

もうこれ以上、『出来ない』ことについて語ることはありませんから。

ただひたすら作業するのみ。のみ。でした。


モドル       もっとモドル

 

 

 

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