いったい、何だったんでしょうな。今も、こうなんでしょうかね?

サークル新棟の思い出

1994年から1998年まで。 大学構内。



大学の中に「サークル新棟」略して「サ新棟」があり、そこの4階に漠部室はあった。

ちなみに3階に「演鑑演劇部」「第三映画会」なんかがあり、音楽系サークルなんかも。2階は体育系の部室。

我々はいつも「ミーティング」と呼ばれる、各階にあるちょっとした広間みたいな場所で作業をしていた。

昔は「漠倉庫」なるものがあったらしい。でも私が入った時にはもう壊されていてなく、伝説の倉庫になっていた。

そこでは芝居も出来たし、作業も出来たし、いろいろ出来たし。便利な場所だったという。



この「ミーティング」。流しがついており、さらにはヒーターも備わっていて、みんなの憩いの場のようである、が。

その流しも詰まって異臭を放ち、ヒーターもぶっ壊れ、なんて時もあったりして。あまりきれいな場所じゃなかったな。

でも、ここで卒業生を送る会をしたり、芝居の打ち上げをしたり。いろいろなことに使える「多目的なスペース」

3階の「ミーティング」にはよくマージャンをしている人たちがいた。



ちなみに今でもそうなのかちょっと分からないけれど、ここの大学は24時間自由に出入りできるので、

夜中に学校で作業をしていても全然平気だったのだ。さらに「サ新棟」のある部室にはベッドまで作られており、

実際にそこで生活している人もいたりした。ちなみにこの頃自宅が遠かった"片桐"はしばらく「サ新棟」で生活していた。

1年生公演でもらった演出プレゼントはマクラ。部室でも安眠できるように、との配慮。

結局あまりに家に帰らなかったので、親御さんが心配し、一人暮らしさせたのだという。

そんな感じで24時間、行けば誰かは、いる。そんな溜まり場。



この「ミーティング」でいつも作業をしていたのは、衣装・小道具・照明・音効・宣伝美術。時々、舞台装置も。

舞台装置だけは、作るものが大掛かりなので、大体「サ新棟」の外。

冬は寒さに凍えながら、夏は蚊との戦い。一番過酷な環境だった。

ミーティングでは衣装はミシンでガタガタガタ・・・・と縫い物をし。その横で音効がヘッドホンを頭に編集作業をしており。

そして小道具がダンボールやら新聞紙やら広げて物を作って、その隣で照明が明かりのプランニングを立てて、

宣伝美術は大きな看板をせっせと描いている。これらのスタッフがいつも一緒に作業をしていた。



で、その日の作業が一段落したスタッフからどんどん帰っていく。大体最後まで残っているのは「小道具」か「宣伝美術」。

あと「音効」など。本番が近くなってくると、だんだん残っているスタッフも多くなり。「ミーティング」は朝までにぎやか。

皆で毎日残っているので。なんとなくお互いの作業の進み具合がわかり。

お互い「あそこよりはマシ・・・」と我をなぐさめながらせっせと働いていた。



稽古後なので、まずは皆で「セブンイレブン」に夜食の買出し。一息入れて、お腹を満たしてから、いざ作業開始。

でも夜中になってくるとだんだん小腹がすいてきて。

大体夜中の1時か2時頃に「買出し部隊」の登場である。疲れてくると人は甘いものを食べたくなる。

さらに冬なんかだと、チョコレートの種類も豊富で。この頃、たぶん一生分のチョコレートを食べたのかもしれない。

あとは100円均一シリーズの「一口ドーナッツ」。これもはまった。

私は一晩でぺろりと食べてしまったが、"もりち"は1日3個と決めて食べていた。

ちょっと女の人らしくて、かわいいなぁと感じたりして。"今ちゃん"は私と同じく、1日1袋だったはず。



時々"村上"氏がいると、スタッフ作業中に、夜食を作ってくれたりした。

覚えているのは、私が山梨土産で買っていった「ホウトウ」。

これを鍋にいっぱい煮てくれて、ご飯まで炊いてくれて、「ホウトウ」をおかずにご飯を皆で食べた。おいしかったぁ。

他に煮物なんかも作ってくれたときがあって。こういう、すさんだ時の手作り料理っていうのは、良いですな。

とにかく疲れているし、眠いけれども、人間の生理本能的に「何か食べなきゃ」と思ってくる。とにかく食べなきゃ。

だから、不思議とそんなに食べていても激太ることはないんだけれども。

やはりこんな不摂生が続くと、よろしくなく。

で、男性陣は芝居をすると、皆やせ細っていく一方で

女性陣は芝居をすると、皆肥えていってしまう。それもまた事実。



時々、我々は「廃棄」をとってくる、という「食べ物を無駄にしない、リサイクル」もしてしまったりした。

これは夜中にしまるコンビニは、その日の賞味期限のものを全部捨てる

つまり「廃棄」して、ダンボールに詰めておく。

で、我々はその「廃棄」をダンボールごともらってきて、皆でそのダンボールを山分け。

もちろん、無料。しかも、食べ物がいっぱい。

おにぎりなんかは、冷凍しておいて、お茶漬けにして食べると、結構持つし、なかなかいける。

いつもこの「廃棄取り」の決死隊長は"三町"。

時々この「廃棄」のおかげで、我々は潤っていたというか。今考えると、うーん、皆、たくましかったよなぁ。

というか、こういう経験を持っている人、結構いるんでしょ?ねぇ?皆通ってきた道、よね???



作業も佳境に来ると、今度は眠気との戦い。

多くの人が、この眠気に耐え切れず、沈没していった。座ったまま寝るなんて当たり前。

で、眠さも限界に来ると、とりあえず仮眠するわけだけれども。まずは部室へとフラフラ歩いていく。

部室には畳が敷いてあったので、そこにスペースがあれば、そこに転がる。

でもそこが仕込み前で物がいっぱいの時、衣裳部屋に転がる。

この衣裳部屋には畳がやはり敷いてあり、その広さはおそらく2畳分くらい?そこは大体空いているので。



で、いつだったか、猛烈に皆、眠かった(んだと思う)。で、私が衣装部屋に行ったら、すでにもう2人転がっていた。

寝ぼけ頭で、私はその横に無理やり入って、眠ってしまった。この時点で3人が2畳で寝ている。

で、朝。気がついたら、人の足が私の頭のすぐ横にあった。起きてみると、なんとその3人の上に、さらに2人。

眠気に耐え切れなかったんだろう。3人のその隙間に埋もれる形で、2人転がっていた。



でも、その後からの2人は必死にその時考えたんだろう。

頭が5つ並ぶのはちょっと苦しいので、頭を反対側にして寝ることにしたらしい。

つまり、3人は同じ方向に頭で、その上の2人は逆方向に頭。足は臭くなかったんだろうか。これで2畳で5人。

さらに起きてみると、もう衣裳部屋に入りきれなかった人が床にダンボールを敷いてそこに転がっていた。



ヒーターが壊れていなければ、「ミーティング」のソファーに横ずわりし、そのまま眠ってしまうこともあった。

朝、学校に来た人の声で目が覚めたり。おかげで私はどこででも眠れるようになった。

サ新棟の思い出は、つきないな。

こんな感じで毎日「運命共同体」のような生活をしていたんだ、なんかやはり違うのかもしれないねぇ。

当時も、つらいながらもとても楽しかったんだろうけど、今となっても、とってもいい思い出。


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