第4回 第一回おいたち話


私が通っていた小学校は、当時の公立の小学校としては、かなり変わっていた。

まず、クラス名が変わっていた。

私は義組だった。

兄は博組だった。

   
   

漢文ではありません。クラス名が漢字だったのです。

一学年四クラス位で、あとの二学年は思い出せない。

「義」は画数が多かったので、上履きや給食袋にうっかり水性マジックで組名を書いてしまうと

読み取り不能で本当にとり返しがつかない。そんな苦い経験もあった。

他にも、二時間何をやってもいい「オープンタイム」があったり

土俵があったり、夏休みの宿題がなかったり、なにかと「攻め」の学校だったけど

四年生からの三年間は、担任の先生も変わっていた。


50才位のおじさん先生で、黒岩先生という。

黒岩先生はいつも口角にツバを溜めていて

時折ポケットから「よくもそんなにクシャクシャにできたな」と目を見張る位のハンカチで拭き取って

そのままポケットにしまうのだった。

黒岩先生は、多分、学年会議で決められた授業カリキュラムをちっとも守っていなかった。何故なら、

一時間目:草刈り
二時間目:草刈り
三時間目:社会
四時間目:中庭作業
五時間目:池掃除

こんな時間割が週に二回はあった。そう。黒岩先生は、大の園芸好き。

校庭まわりの草刈りは序の口で、中庭の石整備や、植木や

比較的ハイレベルな園芸作業にまで、
40人の小学生をつかっていた。

学年全体作業の時も、作業半ばで、何故か仁組さん礼組さん修組さんを教室に帰してしまう。

何か恩を売りたかったのか、動機は不明。

残された義組の生徒は、かなりストイックに、大人顔負けに

俺たちゃこれでおまんま食ってんだと言わんばかりに、持参した「MY鎌」を操り、草をやっつけていた。

とにかく、普通の授業の記憶はないけど、土だらけ、挨だらけの印象は強烈に残っている。

しかし小学生、サボってふざけたい時もある。私もよくふざけていた。

それを黒岩先生に見つかったら最後、容赦なくひっぱたかれ、はり倒され、モア土だらけになる。

校内清掃で見つかると、ワックスで磨かれた床を、簡単に
3m位、生徒達がすべり飛んでいく。

当時、私はクラスのベスト
5入りする勢いで飛ばされていた。

一度、教室から体育館へ移動しながら、あんまり黒岩先生が頭をグーで殴るので

覚えたての知識で反撃する事にした。

「脳細胞が死ぬので止めて下さい」

黒岩先生は、体育館に着くまで倍速で私を殴り続けた。


生徒よりもやんちゃな彼の最大の弱点は、家庭科である。

家庭科は年に一回のみ。必ず父母参観日にやる。

授業は、黒岩先生がお母さん達に、まつり縫いの仕方やボタンの付け方を教えてもらうという

視聴者参加型っぷりをみせていた。黒岩先生がボタン付けをマスターするまで、生徒達は放置プレイだった。


今、しみじみと振り返るまでもなくメチャクチャな先生だったけど

歴代の先生の中で、彼が一番好きだ。

子供は自分が愛されてるかに敏感だけど、彼は間違いなく全員を愛していた。

小三までおとなしく、分かり易いいじめられっ子だった私は、彼に改造された所が大きい。

改造され過ぎて、はりきり中学生時代に突入し、いろいろとやっちまう事になるけど、それはまたどこかで弾き語りましょう。

数年前、地元の公民館で母が偶然黒岩先生に会ったという。

先生:「洋子さんはどうしてますか?」
母 :「まともに就職もせず嫁にも行かず演劇ばかりやってます。」
先生:「僕の教育が間違っていたかなぁ。」

……そうかも。




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