自分について独りゴチ。やっぱり私はデスマス体が好きのよう。無理しないで、スーツの日本語で書きます。時々Tシャツ。
ボチぼちっと。所々、後で思いついて、付け足したりたりするんで、気が付かないうちに長くなっているでしょう。

名前はシノといいます。

子供のころは、すごいババくさい名前だなぁって
水戸黄門のスケさんの奥さんしか見たこと無い名前だし

「○子」みたいな、名前の最後に「子」がつく名前がいいって
駄々こねたこともあったけど。その時に言われたのが
「おばあちゃんになった時に、今の名前の方がいいでしょう??
○子ばあちゃんよりも、シノばあちゃんの方が、
おばあちゃんらしいじゃない」と慰められて。

それもそうだわなぁって子供ながらに理解し。

それ以来、そんな先のことまで考えて名前つけてくれた家族にも
自分の名前に関して文句はありません。感謝しています。
 
戸籍上は3月3日、本当は3月2日生まれの魚座のAB型。
だから私はイマイチ「生年月日占い」を信じることはできない。

高校生の時に自分の誕生日違うこと発見しましたから。
それ、知らなければいまだに3日生まれだと思ってましたから。
今まで私は3日で生きてきたのに、本当は2日ってさぁ、
どっちで占えば良いのかなぁ?ということになるので。

よく「良い方を信じればいいじゃん」と言われますが。
「うん、そうだね」と言っていますが。

そんなに簡単ではないんだよ。
だって占いの結果が全然違ってくるんだもん。
似てればいいけどさぁ。
     
添乗員してました。

こう言うと、結構人から受けがいいので、
今の自分の中じゃダントツ1位の職歴でしょう。

他にも色々、ホントに色々やりましたが。
色々やってみても、まだ自分に合う仕事が見つけられない。

みんなソコソコできちゃうし、結構楽しいし。
でも、それ以上っていう伸び率はなかなか見つけられない。

先が見えた段階で、自分の中でも熱が冷めます。

でも添乗員だけは、今でもまた戻ってもいいかなぁ、何て。
 
女優してます。
と現在形で言っていいものなのかどうか。

しばらく芝居やってないし、映画もやってないし。
映像ならチョコットやりましたが。そんなもんで。
自分でまだ分かんないし、
なんか色々な妄想に一時とらわれまして
あと家族の「そろそろねぇ・・・・・」
という視線にも耐えかねまして

色々理由をくっつけちゃぁ、逃げてきたわけです。
そんなこんなで今はちょっとしてません。

でもいまだに「女優してました」って過去形で言う程までは
吹っ切ってはいません。
     

写真スタジオも手伝っていました。

アシスタント・カメラマン、ですか。スクール・カメラマン、ですか。

中学校の修学旅行とか、学園祭とか。入学・卒業。
腕章を付けて、そういった学校行事を撮影していました。
「カメラのお姉さん」です。

あと照明写真も撮影していました。お受験用とか就職用とか。
普通のフィルムとデジタルカメラで。

この仕事は結構面白かった。
色々やらせてくれましたし、こんな私に。

成人式とか、お宮参りとか、卒業・入学の家族撮影を見ていると。
こういうのを残すのは、とてもいいことなんだなぁ、と。
自分は残そう、と。
  教師です。いや、免許は一応持ってます。

でもこんな私は教師モタナイなぁ・・・
って感じたのが教育自習のとき。

自分にまだ働いた経験がなかったもんで、
そんな勉強一本で来た自分が先生になっても、
アドバイスできるのは、勉強のことだけだろう、と。
大学に進学せずに就職する生徒に、
私はいったい何をアドバイスできるんだよって、
考えたときに
自分はまだまだ先生になっちゃいけないって、
生意気にもそう考えました。

でも、そんなこと言ってたらいつまで経っても
教師はなれまいて。

だから教師やってないじゃんかぁ。
     

そんな私が倫敦でしていた仕事(バイト)。

着物着てます。日本食レストランです。
接客の英語、ぼちぼち使っています。

まだ口が慣れていないので、どぎまぎして話していますが。

そして、日本語の敬語をバリバリと使っています。
とてもいい勉強してます。

でも、足の骨折って、結局やめることになりました
短い間でしたが。
色々勉強になったサ、色々。
  日本語教師、タマゴです。

まだ孵化してません。したいんだけどね。

もうちょっと熱が必要かなぁ。
     

今夢中になっているものは、英語以外の言語
フランス語とスペイン語

なぜかというと、友達と話したいから。
やはり、言葉を話すというのは
まずは大前提に「通じ合いたい」という気持ちがあるわけで
その気持ちも無しに話せるようにはならないわけで
なんか、私の自分の英語についても良く考えられる一件だった。

私は英語を話せるようになって、いったい何がしたかったんだろう。

それを思いかえすこと。
今は一日の始まりのお決まり。
 
私の足は外反母趾、それもかなり重度

今までは、なんてことはないと思っていたけれど
普通の靴下を履けない体になってしまったということは
なんとなく、大きな、ものでした。

20年後に歩けなくなる

それまでは自分の老後なんて考えもしなかったけど
そうか、そういうことも視野に入れて年をとっていかないと
でも、そんな守りの人生で良いのか、と
でも歩けなくなるのはいやだし
なんて、ちょっと悶々とするこのごろ。
     

いよいよ日本に帰るときが来たりして
予定よりもだいぶ早めに切り上げてですが

物事には
今しかできないことと
あとからでもできることがある、ということで
私は「今しかできないこと」というのを信じて
今までやってきたわけです。

これがきっと、今まで私がやってきたことが
長続きしなかった原因であるのだなぁと
今更ながら、気がついた気がします。
後からできるって言うのの
後っていつだよって。

そろそろ突っ込みを入れないと。幻想だけではいけません。

 
にほんで。

着いたときの感想

美味しい匂い。
湿度。
日本人の髪の毛の色

お店での清涼飲料水売り場
スターバックスコーヒーの店員の挨拶

お菓子の種類
歌手の英語
テレビのお笑い

本当に英語から離れた生活が、始まってしまた

     

なぜ日本に帰ったのか
皆によく聞かれます

ただ単に
今しか出来ない事をやりに戻って来ました
あと、約束は守ろうと思って

  いましている仕事。
怒鳴られてます。
愚痴られています。

と。英語教えてます。
文法用語、最低です。
頭痛いです。
     

怒鳴られる仕事からの解放。
今度は、怒鳴るほうの仕事に付いてみました。

というよりも、子どもまみれの毎日です。
毎日毎日英語で子どもを相手にします。
両脇に子どもを抱えてジャンプできるようになりました
腕の筋肉、もりもり。

最初は英語教師って、こんなにも儲かるのかぁ、と
でも次第に儲けよりも何よりも
毎日のレッスンアイデアで終われる毎日

先生っていうのは、時給に直したら大変ですな
だって1日中、考えているのはそのことばかり

  この年になって、2004年になって、
初めて、振袖の写真を撮りました。

成人式に写真を残さなかった私。

chaboパパが選んだ紅い着物
chaboママに頭と化粧をしてもらって
スタジオで、バリバリ撮ってもらいました。

なんかね、涙が出そうなくらい
嬉しい出来事でした
     

ひょんな事から教室を持ってしまいました
ただ、ちょっと腰掛のつもりの仕事のはずでした。

でも何となくはまっている自分が居たりして

でもそろそろ自分も動く時だと思っています

そろそろ離れなくてはいけない時期なんだろうかなあ

何で、この子達が山梨に居るんだろうなぁ

東京だったら良かったのになぁ
  今は新しい資格に向けて進行中

ついでに新しい土地での生活に向けても進行中

ついでに、ついでに、新しい姓に向けても進行中?!

ついに、年貢を納めていただく時が来たようです
(女性の場合はこう言うの??)

およよよよ。
     

ということで、今は日本で沸々としております。

生きるとは、呼吸をすることではない。
行為をすることだ。

その通り。

モドル

 

 

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