Poppy Day ポピーデイ
ポピーにあわせて背景も赤。
イギリスでは毎年11月にはいるとあちこちで「胸に赤い花のバッチ」を見るようになる。
それは、まるで、日本の「赤い羽根共同募金」のように、まずテレビのキャスターなんかは必ずつけているし
<ね、みんなつけているのよ>
議員の人も皆つけているし、街でも「赤い花」をつけて歩いているおじいちゃんやおばあちゃんなんかよく見る。
時々街でこの「赤い花」とともに募金箱を持っている人もいるので、これも募金の一つなのだなぁ、と思っていた。
でも、なぜ「赤い花」なのか。それはずっと謎であった。
たまたまテレビで、この「赤い花」についてのことをやっていたので、それで初めて知ったのだけれども
<赤い花バッチの拡大図>
この「赤い花」、ポピー(芥子の花)で、正式には「フランダース・ポピー」なんだそうだ。
で、第一次世界大戦の休戦記念日に赤いポピーの花を胸につけて戦没者を悼む習慣なのだそう。
毎年11月11日、第一次大戦の休戦協定が発効された11時に2分間の黙祷が行われる。
で、この停戦記念日周辺に、赤い羽根と同じようにこの赤いポピーを売って募金を集めるのだそうだ。
だからこれは戦没者への募金であり、戦没者墓地の管理などに回されるとのこと。なるほど。
「戦争」というと、日本人や大抵の地域の人は「第二次世界大戦」を思い浮かべるけれども
イギリス人にとっては「Great War」と呼ばれる「第一次世界大戦」のほうが大きな傷痕として残っているんだそうで。
これは、第一次世界大戦のほうが多くの戦死者を出した苦しい戦いが多かったから。
まさに終わりの無い消耗戦。よく映画などで見る塹壕戦はこの時の戦争の典型的な戦い方だったし、
その酷すぎた塹壕の体験で「シェルショック」という後遺症を持つ兵士もたくさんいたとか。
しかしこれはイギリスだけに限ったことじゃなくて、同じく第一次世界大戦で大変だったのはフランスやドイツなんかも。
特にフランスでは1914年の半年間で120万人もの負傷者、行方不明者、更に50万人戦死者を出した、という。
赤いポピーの花は「停戦」の象徴。
<これが本物のポピーの花>
なぜポピーなのか、というと、それは塹壕戦という戦い方と深くかかわりがあるのだけれども。
ココでポピーの花の仕組みについて説明。野生のポピーの種は地中で何年も眠っているんだそうで、
その種を含んだ土が何らかの表紙に地表に現れるとその刺激で発芽をし、花を咲かせるんだそうだ。
特に戦いが猛烈に激しかったフランドル地方というところがあり。そこでは数多くの塹壕が掘られた。本当にたくさん。
つまり塹壕を掘る、ということで、地中深く眠っていたポピーの種が目を覚まし、それが停戦と同時にブワァッと咲いたのだ。
たくさんの兵士の真っ赤な血が流れたであろう土地から、戦争の終わった後に真っ赤なポピーが一斉に咲いた。
このことから、イギリスだけではなく、フランスやドイツでも第一次大戦の戦死者には赤いポピーが手向けられるのだという。
ふと思い出したこと。
そういえば去年、チャールトンの学校の近くで、記念碑みたいなのに赤い花の十字架を上げている家族を見た。
あちこちでこの赤い花の十字架や花輪を目撃もした。そうか、あれらは全て戦没者の慰霊塔だったのだ。
日本だけではない。戦争の傷痕は、ここイギリスでも決して小さくは無いのだ、と実感した。
なんとなく、不思議な実感だった。
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