1995年版 初野外公演
「ニッポン・ウォーズ」

1995年 夏 学芸大学野外公演  作:川村 毅(第三エロチカ) 演出:望月 昭博 




ニッポン・ウォーズはどんな話か。思い出してみると、なかなか懐かしい物で。

時は清輝(セイキ)二十年、「ニッポン資本主義共和国連邦」

略して「ニチ連」は、カルガリア全面戦争に突入している。

舞台は、海底のシロナガスクジラの内部

そこで超能力をそなえた「戦争エリート」たちが出撃にそなえて訓練を受けている。


彼らは完璧な新しい人間、すなわち「アンドロイド」。

2年半の訓練期間に200のレッスンを修得することになっている。

人間らしいことは全てプログラミング。喜怒哀楽も感情もプログラミングされる。

「レッスン
5、はじらいの微笑み。レッスン34、苦笑。レッスン35、オルガスムス。

レッスン
39、嘆き。レッスン40、号泣。(中略)レッスン61、服従。

一挙に高度な段階で飛びます。レッスン70、死」という号令に合わせて

「アンドロイド」達が思い思いに全身でその感情、状態を表現する。

彼らの過去の記憶すら、どこの誰とも知れない死んだ「人間」の記憶がインプットされている。

それを知った「アンドロイド」たちは彼らの必殺技「ブレイン・パワー」を結集させて叛乱を起す。


だがそれさえも「レッスン
200、“叛乱”という名のプログラミング」であり、

その中で死んでゆく「I」という名の「戦場コンパニオン」と、「O
´」という名の男の恋

「レッスン
198、“悲恋”という名のプログラミング」であり。

最後の最後までプログラミング、何を信じたらいいのであろうか。



こんな風に書くと、たいそう悲しい、暗ーい話のようだけれども。実はそんなことは全然無く。

歌あり、踊りあり、遊びあり、セックスあり、やりたい放題の舞台だった。



ジュリーの「ミスキャスト」、松田聖子の「スイートメモリー」なんかの曲が台本で指定されており。

あの"中山氏"が"米豆"・"よここ"を侍らせながら

大声で「ミスキャスト」を歌い橋からあらわれ螺旋階段を下りてくる。

「それよりも目立つ」を目標で"片桐"・"大木"・私が大声で歌い踊る。

さらには照明・音響ブースからも大声の歌声が参戦。「誰が一番目立つか」レース。

このときのWinnerは、一番大きな声で歌った音響ブースの"やうこ&ごう"だった。



次に"あーこ"も「スイートメモリー」を歌いながら橋上に登場。しっとりとした歌のあと。

「歌って欲しい?そうならそう言って、もっと歌うから・・・」の台詞を

彼女は「踊って欲しい?そうならそう言って・・・」とのたまわった。

とたんに彼女の鼻息の荒い「フンフン」踊りが皆の頭をよぎり、皆、倒れそうになった。



この台本に「ま*こ」「ち*こ」(すみません、書けません)もう「セックスセックス」という言葉が山のように溢れる。

"米豆""よここ"、彼女らは今回が自分達の生まれての初舞台にもかかわらず

しょっぱなからこの言葉を大声で叫んだ。

ちなみに"米豆"が最初に自ら作り、使った小道具が「バイブ(大人のおもちゃ)」。

ね、彼女らは、本当に、すごいんだよ。強いんだよ。



そういえば、この時小道具スタッフは、山のような「カップラーメン」という課題を受け、その獲得に大変で。

箱で買ってきて、原価で劇団員に売り、その空きガラを回収する。この頃、毎日食事はカップラーメン。

このカップラーメン、劇中での食事。"望月氏"(O')と"片桐(O)"が「ワンコソバ・カップラーメン対決」をする。

そのために大量のカップラーメンが必要となった。

本番前にせっせとカップラーメンを作る"米豆"の姿をよく目にしたもんだ。

麺をカップの底の方に少しずつ入れて準備するのだが。

本番前に作らないといけないので、当然、本番中に食べる時には麺は伸びきっている。

それをおいしそうに食べなければならない。しかも二人は早食わなければならなかった。

私はのんびり、おいしそうに、チョコチョコ食べた。結構ね、味はいいんだけど。でも、なんかジャリジャリ感が。



このカップラーメンは後の管理もしっかりしておかないと。この時期、ゴキブリの最好調な時でもある。

カップラーメンの空きガラは、彼らにとってとてもたまらなく魅力な物だったに違いない。

かじられる、ということも起こりうる。

できるだけそういうことは考えないようにしていた。うーん、今考えると、ちょっとやだなぁ。



更に、この時期、悩まされたモノ、それは、「蚊」。やぶ蚊大量発生。もう、さされた、さされた。

AB型は刺されにくい、なんて話もあるけど、そんなことはお構いなし。あらゆるところを刺された。

で、この頃に発見。「蚊」は黒いものによってくる。

この発見の時、私は下が黒いジャージで、上は水色のシャツだったのだが。

なぜかやぶ蚊は黒いジャージの方にたかる。なるほどー、と思ってしまった。

なので、暗幕にもたくさんいる。黒いもの好きなんだ。



スタッフといえば、私はこのとき「音響」で。つまり音探しだったんだけれども。

この芝居では全てハードロック。もうCD借りて、聞きまくった。客入れの音は演出指定で。

「The 家元」 このCDをご存知の方はどの位入るんだろう?

ちなみに学芸大学の図書館にこのCDはある。なぜ??という感じだが。

良いのか、教育学科でこんなCD置いてて。

とにかく、聞く機会があったらぜひ聞いて欲しい。

この中の「マッスル 千代の富士」は不滅だ。この音楽でいつも踊っている"大木"を思い出す。

このCDから音をとるために。貸し出しがなかったので、私は図書館にMD機を持ち込み。

ヘッドホンで聞いているフリをしながら録音した。ドキドキだった。



この芝居の稽古は、まず鬼のような肉練(にくれん)で始まる(所で、この「肉練」って、何の略??)。

まず30分間(次第に1時間近く)ひたすら走る。その後に鉄棒・運ていでの腕の筋力トレーニング。

稽古場に帰り、腹筋、背筋、腕立て。1日ごとに10ずつ回数が増えていく、恐ろしいメニュー。

この筋力トレーニングの回数は、「男メニュー」と「女メニュー」でもちろん回数は分かれており、

女の方が少なかったんだけれども。

なぜかそこには「シノ・メニュー」なる中間の物が存在し。 

例えば男=100回、女=60回、シノ(私)=80回、みたいな。もうヒーヒー。



稽古場となったのは、大学の教室なのだが。

この頃「1号館」「2号館」〜「5号館」といって、真夜中でも自由に出入りのできる便利な建物で。

もちろん教室にも鍵はついていないので、夜中でも滞在可能=稽古はエンドレス。真夜中まで続く。

さらには夏休み中で学校が休み=授業がない、という状況だった為

稽古場に「冷蔵庫」まで運び入れて、完璧にそこで生活していたような。

昼から深夜まで稽古。そしてスタッフ。家には風呂にはいりに行くだけのような物。

そのうち面倒くさくなって学校でシャワーをあびだす。

授業の心配もなし。ただ毎日、芝居のことだけ。本当に、幸せな時間だったね、今、思うと。



夜の稽古で、よく「1号館」と「4号館」の屋上に行った。

そこで夜の闇に向かって自分達の台詞をめいめいで叫ぶ。

建物にクーラーは付いていないので、昼は暑くて地獄だが、夜になると少し涼しくなって。

屋上はとても気持ちがいい。

汗もダラダラで、しかも運動をし、暑くて食欲はないが水分は鬼のように摂り。

おかげで全員が一番痩せた夏だったのではないだろうか。



この公演は、野外上演だった。つまり外に舞台を作り、客席ももちろん外。雨が降ったら中止。

そのため、雨対策として「不寝番」なる役割もあった。

これは字のごとく「寝ないで見張り番」。雨が降ったらみんなに教える役目。

最初「フシンバン」と言われた時、「不審」の方を想像してしまい、訳が分からなかったことを憶えている。

私ももれなく不寝番。何回したのかな?でも結局私は寝ちゃって。しかも私のときに雨が降ったような。

この不寝番のときほど、雨が嫌なことはない。



舞台は、1号館と社会科棟(?建物の名前がよく分からないけど)の間。そこには橋があり、その上も舞台。

その橋から下に螺旋階段をつくり、行き来するようになっていた。

大きなスクリーンも作り、ブルーシートでプールも作り。

今現在、その場所はもう全部きれいになくなり。その前にやっておいてよかったなぁ、と思う訳で。



で、この芝居の頭、大きなスクリーンに映像を流したのだけれども。その映像に出たのが私と"あーこ"。

撮影は"E島"監督、手伝いで"西脇"、"望月氏"が運転する「第三号」

最高速度70キロのポンコツ車で、湘南の方へ撮影に行った。

私と"あーこ"は色違いのワンピースを着、私は青で彼女はピンクだったが。

それを着て、砂浜を楽しげに飛び跳ねる。確かそんな指令。

それを横から車椅子で追いかける"E島"監督。で、その彼を乗せた車椅子をただひたすら押しまくる"西脇"。

下はもちろん砂浜。車椅子の車輪ははまってしまう。

スピードが出ない車椅子に向かって、監督は「もっと速く走れーー」。

でも、無事に撮影完了。ところで、このときの映像って、その後どうなったのかな?



実は、これが私と"E島"監督との映像初仕事でもあったのだが。

この後、これをきっかけにじゃないけど、彼と3本の映画をとることになる。

まぁ、その話はまた今度。彼とはそんな腐れ縁で。私は彼の婚姻届の保証人だ。

そして車椅子を押してくれた"西脇"君。彼はこの芝居にサックス奏者として、さらにはコロスとしても参加。



この芝居は、稽古こそは大変だったが。私の中ではとっても「本番の楽しい芝居」。

というのも、それまでは1年生で、やはり一番の下っ端で。やることなすこと、全てオドオドしながらだったし。

緊張しながら、ヘマしない様にということで一生懸命だったので

芝居を楽しもうという気持ちは起こりえなかった。



なんか、こう書くと、すごく上の学年の人たちが怖い人たちだったみたいだけれども。

はい、怖かったです。

でも、人間的に怖いとか 、いじめがあったとか、そういうのではなくて。

というか、上の人には何もかなわなかった。歯が立たなかった。考え方も、演技も、立ち位置も。

自分が「できない」という前提で見られていたことは分かっていたし。

だから邪魔にならないように、失敗しないように。

いつもそんなことで緊張してやっていたような気がする。



それが、私も2年生になった。

今まで縛り括られていた「クサリ」のような物が、急にスッとなくなったのだ。

というのも、下に新しい1年生が入ってきたので。

何となく、矛先は自分ではなくなったというのを感じた時でもあり。

今までは一番ケチョンケチョンに駄目(稽古後に文字通り「駄目」なところを注意・指摘すること)を言われていた私。

今回はガラッと変わり、誉められちゃったりする。それがまた嬉しく「次はこんなことやってやろう」ばかり考えていた。


この芝居の役者で、女では私と"ゴウちゃん"が2年生で一番上で

後は"米豆" "よここ" "ノブキヨ" "アッ子"、みんな1年生。

男もそうで、"望月氏"が一応ダントツ一番上。その下が旧2年生"中山氏"で

あとは新2年生の男ども"坂・大木・片桐"。

1年の男の子Aもいたのだけれど、彼は脱藩してしまったので、1年生・男はこれで絶滅してしまった。

つまり、上の学年の人が"望月氏"いなかった。これは、大きかったような気がする。

"望月氏"は我々のやりたい様にやらせた。

「あんまり、まだ、よく分かっていない2年生」の台頭=やりたい放題。

ただし、課題も大変だった。特に大変そうだったのは"坂"。

彼は毎回声を張り上げる役割で。そのうち血管切れるんじゃないか、と。



ここで、脇役がどれだけ舞台で楽しい物なのか、知ってしまったように思う。

メインの役は「ストーリー」という重たい物をしょっているので、なかなかその道を踏み外すことはできない。

しかしサブの役は、その点で自由である。どんなに踏み外しても、ストーリーにそんなに影響は、無い。

ただ、その辺「まだよく分からない」のが2年生だったところで、数々の場面で、我々は道を踏み外し、

さらには迷子になり戻れなくなってしまったこともあり。

そこまでやると、作品全体にかかってくるので。反省。そういうことも知った。



「自分が人よりも前に出て、芝居する」

今までこんな事なかったから、とっても嬉しかったんだろうし。ノビノビできたんで。だから楽しかったのかな。

イッチョ前に先輩ぶってみたりするんだけれども。なんせ、基がないもんで。

下にはどんないい加減な先輩に見えたか。

私もいつも「こう言っちゃっていいのかな・・?」って思っていたし、自信持っていたわけではなく。

だって今までは自分に言ってくれる人がいたので。

でも、今回はいない。なので、私が言うしかない。でも、よく分からない。

そんな上の人に使われて、1年生はとってもとっても大変だったのだろう、と。実際大変だったし。ねぇ?



最後にこの「ニッポン・ウォーズ」は1986年の作品らしいのだけれど、この年の世間の芝居はすごかったんだね。

調べてみて知ったのだけれども。こんなにゴロゴロこの年にやっていたのカァ、と思うと。涙が出そう。

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