撮影の裏話、色々。その2。

「L'Ilya 〜イリヤ 首吊り自殺」

2000年製作  監督:佐藤 智也



で、顔合わせからもまたしばらく時が流れ。やっとこさ、クランクイン。場所はなんと青梅。のもっと先。

そこに朝、早朝集合し、しかもそこから更にタクシーで行ったところが撮影場所となった。

遠かったが、ちょうど初夏の頃で、緑濃くきれいで、しかも、いい具合に暑い。これから夏って感じで。

ココで、あの「おじいさんの首吊りシーン」を撮影したのだ。



このときの建物は、どうやらお寺の所有物らしく、その集会所といった感じ。

中には台所もあり、フロもあリ、一応生活できるようになっているちょっと古風な一軒家だ。

で、そこに落ちていたのが「ボーイスカウトの詩集」。こういう人たちが利用するらしい。



首吊りシーンの時。

もちろん本当に吊るさないといけませんから。

建物の梁のところに縄で吊る下げて。しかも本物らしくきちんと失禁もさせていたのよ。

もちろん撮影許可を取るのに「首吊り自殺の撮影です」なんてことは言ってないので。

この首吊りの場面を他の人にみられてはならない、という緊張感漂う現場でありました。

だって見られたら、たぶん速攻撮影禁止、というか警察来ちゃうかも知れない。

途中ですぐ横の道をおばさんが二人通ったらしいが、幸い気がつかれずに済んだそう。



この日はとても暑くなった。途中でうちわを借りて暑さをしのぐ。

この時に別のカメラで取った映像が「役者スタッフ」の自己紹介としてムービーで出てます。

暑さでだれてます。で、パタパタとやる気なさそーに扇ぎながら

「イリヤ役のシノです。頑張ります」ただこれだけ。もっと気の利いたこと言えば良かった。



私のシーンでは、「イリヤ」といわれて振り向くところ。ここで映画ではタイトルバックになったと思うのだが。

この振り向き方がちょっと難しかった。きっかけをもらって振り向くのだが、その時の表情が硬いとか、険しいとか。

だって、こんな自殺の撮影の直後に呼ばれて、振り向いて、微笑め、といわれても。

全然納得が出来ないまま、はにかんだような、不思議な笑顔となってしまったのだけれども。

私の頭の中でちょっとつながらなかったのだが。後から映画を見てみて納得。

なるほど、恋人が呼びかけていたんですわ。こういうこともしっかり知っておかないと、いけないところだと知る。



こういうのが映画では難しいところだと思うのだけれども。

まずは台本を読んで、ある程度のイメージを持ってから、私は映画に取り組む。これはもちろん当たり前だが。

でも台本だけでも限界がある。イメージできないシーンがあるからだ。



監督やカメラマンから色々な演出、指示を受けて、その場でもシーンを考えて演じるわけだけれども。

ここで役者・監督、そしてカメラマンの頭の中の統一が図れていないと、かなりチグハグした物になると思う。

で、役者としては、どんなことを望まれているのか、ある程度は自分で考えてやらないといけないし

でもそれはカメラアングル的にはどう映ってしまうのかとか、果たして監督は望んでいるのだろうか、とか。

芝居と違って、稽古の時間が極端に短い、もしくはない映像の世界では

いかに監督やカメラマンと話し合い、理解しあうかに、全てがかかってくるように思う。



撮影終了後に、私とそのおじいさん役をなさった村瀬さんと一緒に電車で帰る。

村瀬さん、結構いいお年なのに、自殺する役をうけたんだなぁ、と思って。

私も同じような年代になってもまだ役者してるのかなぁ、とか。

果たして私はおばあさんになってから自殺する役なんてできるんだろうか、とか。色々。



他のスタッフはまだ何かあったのかな、帰ったのは我々二人だけだった。

その時に言われたのが、この本(台本)はまだまだ詰めなきゃいけないところがたくさんある、と。

その時に電車の中でそんな話をしたんだ、実は。君はまだまだ監督と話さなきゃいけないよ、と。

あと、若いんだから、もっと攻撃していきなさい、と。ちょっと漠然としたことも言われた。



もっと色々話したかったが、村瀬さんは拝島で乗換えだったので、そこでさようなら、となる。

村瀬さんはこのシーンのみの撮影なので、というかこのシーンで死んじゃうのでこれで終了だった。

こんな感じで、今回の映画は私の共演者がことごとく亡くなっていってしまうのも特徴。

1度限りの役者さんも多く。でも私はその全員と共演できたわけで。

だって自殺役の役者さんは私以外の人とは会わないで終わってしまったのも多いから。

私はその点、ちょっと、良かった。



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